【木下翔平(きのした・しょうへい)】 1988年生まれ。名古屋市内でおしゃべりバーを経営。 前職は製造業。「日本一敷居が低いバー」をコンセプトに現在は3店舗を経営。 おしゃべりバーの全国展開に向けて、「やさしい世界」の実現を目指す。
<聞き手=神坂涼介>
<書き手=阪井果奈(なごや交流会編集部)>
名古屋の栄にある「おしゃべりバー」
おしゃべりバーの系列店舗
2~3店舗目の場所はどこにあるんですか?
おしゃべりバーから歩いて1分です。それぞれの店舗で何かトラブルが起こったときに、すぐに対処できるようにしています。
それぞれ店長はいるんですか?
もともとはおしゃべりバーの常連さんです。
それぞれの店長がおしゃべりバーの想いに共感して、
「自分もやりたい!」と言ってもらったのがきっかけです。
系列店舗の店長はどんな人ですか?
2人ともキャラが濃いです。笑
詳しく聞きたいですね!笑
2店舗目の方は?
まず、2店舗目の店長は幼少期から演歌で全国大会3位とった男性です。
前職のFPを辞めて、今はバーの経営に専念してもらっています。
演歌!?笑
そういう方なんですね。
3店舗の方は?
3店舗目の店長は関西出身の20歳の女性です。
今年の5月に名古屋に引っ越してきたのですが、
こちらでは友達がいなかったみたいで。
その女性も2店舗目の店長と同じように、
おしゃべりバーの想いに共感して「私もやりたいです!」と。
それで1年のうちに3店舗が出来ました。
系列店舗を近くにした理由はあるんですか?
理由はたまたまです。
2店舗目までは近くで良かったのですが、3店舗目も客層が似てると予想してたので、
最初は静岡でやるつもりでした。
でも途中で静岡での出店の話はなくなり、新栄にしました。
3店舗が近くにあっても、店長のキャラが違えば集まるお客さんも違います。
なので、結果的には良かったです。
おしゃべりバーがこれから目指す方向
おしゃべりバーが目指していることを教えてください!
「やさしい世界」をつくることが夢です。
僕はもともと超ポンコツで、仕事もできなくて。
家庭や社会の中でもいじめられていて、誰からも認められずにいました。
特に家庭の中では、32歳の時に初めて銀行のキャッシュカードの使い方を覚えたくらい、
僕には何もさせてもらえませんでした。家事さえさせてもらえなくて。
僕のことを全否定していました。こんな世界じゃなくて、逆の世界はないのかなって。
僕が作りたいのは失敗しても受け入れて協力して「いいよいいよ」と言ってもらえるような、自分の友達に夢があったら全力で応援してあげられるような「やさしい世界」を作ることが夢です。
これから、おしゃべりバーの全国展開を考えています。こういう場所がいっぱいあれば、おしゃべりバーのようなコミュニティも広まると思うので。
フィリピン人との出会いと「おしゃべりバー」の想い
この想いを思いついたきっかけがフィリピン人の友達です。
フィリピン人ですか?
はい。もともと僕、暗くて人見知りで。
人と目を合わすこともできないし、話せないくらいコミュ障で。
ずっと家と会社の往復で、休みの日には昼前まで寝ていて。
近くのスーパーで安いワインを買ったり、散歩して、録画した番組を観る生活していました。
会社にいるときも人と接することがなく、休み時間はトイレにこもっていて。
ごはんもトイレで食べてました。
そうは、全く見えないですけど
そんな過去があったんですね!
完全にシャットアウトしていたんですが、29歳の時に世間で外国人労働者を入れる流れになりまして。うちの会社もフィリピン人を50人受け入れることになりました。
でも、なぜか僕がフィリピン人の教育係に任命されて。その時に人生で初めて、外国人の方と触れ合いました。
異例の抜擢ですね!
そうなんです!外国人の方ってめっちゃ明るいじゃないですか。
接しているうちに僕も楽しくなってきて。
例えば、フィリピン人って急に残業を頼まれてもテンションが上がります。
むしろウェルカムで喜びます。「この稼いだお金で明日パーティーしようぜ!」みたいに。
あと、昼間休憩でも1人ひとりがお弁当を持ってきて、輪になって全員のお弁当を真ん中において全員でシェア。自分のものじゃなくて、みんなのものという意識が強くて。
僕もその中に入れてもらいました。それがすごく嬉しくて。
それが1年続きましたが、僕が急に転勤になりました。まったく別の工場に飛ばされて、また1人に戻りました。
彼らも国に帰ったりで、会えなくなりヤバいくらい寂しくなって。
その時に思いついたのが、僕自身が明るくなればいいなと思って。今までの明るさはフィリピン人ありきでした。
確かに、外国の方は明るいですね!
僕自身が明るくなれば、別に1人でも楽しいんじゃないかと。
そこから明るくなるにはどうすればいいんだろうと思って。
思いついたのが、フィリピン人って友達が多くて、
フレンドリーで人見知りがいません。
「これだ!」と思って、まずは友達を作るために交流会に行きました。
木下さんの優しい世界を見させてくれたのが
フィリピン人たちだったんですね。笑
そうですね。失敗してもみんな大爆笑で
「いいよいいよOK!Next Next!」って!笑
それから交流会には参加されるようになったんですか?
はい。交流会に行っても、仲良くなる人からビジネスの勧誘されました。
断ると変な感じになるし、関係もだんだん薄れて友達ができなかったです。
それから、グーグルで「友達ができる場所」を検索したら「旅バー」を見つけまして。そこのコンセプトが日本一友達ができるバーでした。
実際に行ってみたら本当に友達ができて、通っているうちにこういうコミュニティいいなと思ってた矢先に、旅バーの店長からオーナーを紹介する話が出ました。
それからオーナーと繋げてもらい、意気投合しまして。
そのオーナーから「一緒にバーやろうぜ!」ということで、今は共同経営しています。
「おしゃべりバー」を開業したきっかけは「旅バー」の人だったんですね。
そうですね。でも不思議だったのが、
もともと三重県から旅バーに行ってましたが、なかなか頻繁に行けなくて。
実際に通ったのは2か月に1回です。
三重県からだと
それぐらいの頻度になってしまいますよね!
あまり常連ってほどでもなかった僕を
なぜ店長がオーナーと繋げたのがわからなくて。
旅バーの店長いわく「翔平くん向いてそうだから繋げたんだよ」と。
その結果、今がありますね。
面白いですね。
人見知りでガチガチだった世界からフィリピン人と出会ってから交流会に行って。
そこから旅バー行って。じゃあ自分もやろうと思ったのですね。
フィリピン人と出会わなければ本当に何も変わらなかったです。
彼らは僕の恩人です。笑
おしゃべりバーに来るお客さんは「過去の僕」
おしゃべりバーはどんな方が来られるんですか?
僕と似てます。
おしゃべりバーに来てほしいお客さんは、昔の自分です。
友達が欲しいけど、人見知りでコミュ障な自分です。
ここにきたら僕が全力で繋げるので、絶対にアウェイにはさせません。
だからお客さんも安心して来てくれます。
プラス一日店長が効果あります。一日店長はお客さんがイベントする制度で、
これがお客さんの自己表現に繋がって、自信になります。
昔の僕のようにだんだん自信がついていくのを見るのが楽しいです。
それが生きがいということですね。!
あとはコミュ障の方も多くて、何を話したらいいのかわからないときは、
僕がサポートする感じで。もともと自分で交流会を2年間やってましたので、
その辺は大丈夫かなと。
正直、仕事はなんでも良かったです。
「やさしい世界」を作るためには、バーが合ってると思いました。
毎日交流会だけやっても生活があるので、バーの方が単価が良いんですよ。
「おしゃべりバー」と僕の夢
最後に木下さんの夢を教えてください!
毎月150万円売り上げること、おしゃべりバーを全国展開、
そして有名人になりたいです。
有名人になりたいんですね!?
有名人になりたいのは小さい頃からの夢です。
理由は、家庭が貧乏で毎日ケンカが絶えなくて、結構暗い感じでした。
逃げ場所がテレビだけだったので、テレビに映るバラエティー番組が自分のオアシスでした。こんな輝いている世界に入りたいなと思って。
「ポンコツな自分がここまでできるよ」と背中を見せられる、勇気を与える存在になりたいです。
自分のあこがれもありつつ、自分も有名人になりたいんですね!
そうですね。
それが自分の役目だと思っています!!
最後に